【結婚相談所の体験談】とにかく結婚したい焦りから婚活で失敗したエピソード
恋愛経験ゼロのOLが、結婚相談所のオーネット(旧楽天オーネット)で結婚を決めるまでの実録体験談です。
前回は2人の男性にお断りされてしまったエピソードを公開しました。
今回の記事では、私が婚活疲れをして結婚を急ぎすぎたあまりに大失敗をしてしまったお話を公開します。
ぜひ参考に記事を読んでみてください。
早く誰かと結婚したい、その一心でお付き合いするも悲惨な破局を迎えた話
お相手はHさん。31歳・年収700万円・金融勤務・慶應大卒。
追い詰められて焦ってやり取りを開始
またもや現れた慶應大学経済学部卒の男性。
少し気になることもありましたが、希望条件の慶應卒ということもあり、他にやり取りを続けている男性がいなくなった私は、焦ってHさんとのやり取りを始めました。
当時の私はOさんに振られたばかりで後がないと思い、慶応卒というだけで面談へ進みました。
今だから笑って話せますが、当時は完全に婚活疲れから婚活が憂鬱一歩手前のような状態でした。慶応卒であれば誰でもいいから早く結婚したい。そんな気持ちもあったと思います。
初めてのデート、ときめきは全くない
待ち合わせ場所には、写真で見た通りの男性が立っていました。
やはり実際に会ってもOさんのときのようなトキメキは感じられず、自分を奮い立たせて面接に臨みました。
意外と自信家なHさん
Hさんと実際にお話ししてみて、本人は意外と自信家であることが分かりました。特にゴルフのスコアをアピール。月に2回ほどはゴルフ場に行き、その他の土日はゴルフの練習に費やしていることなど、会話の大半はゴルフで埋め尽くされます。
私自身はゴルフバーに一度、打ちっぱなしに一度行ったぐらいの超初心者なので全くわかりませんでしたが、Hさんの言葉を信じるならばHさんの腕前はすごいようでした。
仕事については出向という形で本来の仕事から離れている様子で、こちらに関してHさんから積極的に話すことはありませんでした。
ジャニーズ好きをカミングアウトするも‥
はじめのうちにジャニーズ好きをカミングアウトしてその反応を見ようと思い、嵐ファンで現在もコンサートに行く旨を伝えたところ、「ふーん」の一言のみ。本当にこの一言で終わりました。
それよりも自分のこと、特にゴルフの話をする方が大事らしく、初回面接はゴルフの話がほとんどでした。
自分の好きな話題を私が適度に相づちを入れて聞いていたので、好感触だと思ったのでしょう。次回の面接の約束をしてきました。
見た目は全く好みではないし、会話も一方的で私の話はあまり聞き入れようとしない。この人と会い続ける意味があるんだろうか?
と悩みましたが、婚活に行き詰って焦っていた私は、2回目の約束を受け入れることにしました。
ここで思い留まれば、自己肯定感を失うことなく5ヶ月という長い間、苦しまずに済んだと思います。
Hさんとの面接は本当の面接のような質問が続く
2回目の面接時も「この間行ったゴルフでさ~」とゴルフの話が大半でしたが、私は終始笑顔で聞いていました。
Hさんの感じから私は気に入られていることはわかっていました。私に好意があることで相手より優位に立てている気がしていたのです(お断りされたTさんの時と同様)。
ただHさんとの面接は、本当に就活の面接に近いものがありました。
「どんな働き方をしたいの?」
「子育てで重要なことってなんだと思う?」
「目指してる女性像はどんなものか?」
私からの回答をじっくり聞き、面接官のようにその回答に突っ込みながら私の結婚観や子育て観を読み取ろうとしていました。
どんな女性になりたいのか?どんな子育てをしたいのか?なんて抽象的で明確な答えもできなかったのですが、Hさんが好きそうなワードである「良妻賢母を目指したい」と答えていました。
結局、Hさんは性格やフィーリングよりも条件や世間体、自分が理想とする妻であるかどうかを重視していました。
この違和感に気づき、ここでお断りをすべきだったと当時は後悔しました。
ですが、とにかく結婚に焦っていた私は「早く誰かと結婚したい、この状況から抜け出したい」この一心でしたので、心に余裕がありませんでした。
この際Hさんとの結婚でもいいじゃないか、先に進めないと!と追い詰められていました。
この時期結婚に焦っていたのは、他にめぼしい男性がいなかったこと、そして同じくオーネットに入会した同僚がオーネットで出会った相手と順調に交際をしていたことが要因でもあります。
今まで優位に立てていると思っていた私ですが、結婚するために自分の意見を我慢してでもHさんに好かれようとするようになりました。
Hさんに「横浜や郊外に出掛けよう!」と言われれば、有給申請して土日に会社を休んだり。「その服派手だよ、もっと柔らかい色の服の方が良いよ」と言われれば、自分の好みでないパステルカラーの服を購入したり、「ポニーテールにしてきて」と言われればその通りにする。
ただ私はHさんが好きではないのです。毎回セカンドバッグを片手にやってくるHさんに一度「他のバッグにしたらどう?」と提案しましたが、即座に却下されました。
今なら“この人とは合わない”と判断することはできますが、当時は“結婚するため”に自分を犠牲にしていました。
一度母にも「なんか最近変じゃない?」と指摘されたこともありますが、もう苦しい婚活の世界に戻りたくない故に、Hさんとの結婚に向けて、自分を出さないようにして頑張っていました。
「ご両親に挨拶したい」私の実家へ招くと両親への面接が始まった
月に3回程度の面接を重ね3ヶ月が経ったころ、Hさんに「ご両親に会いたい」と言われました。
結婚前のご挨拶という形で両親に都合をつけてもらい、実家に招きました。
こんなことは初めてで父親も母親も緊張し、私がきちんと判断していれば必要のなかった迷惑をかけてしまったと思います。
「お付き合いしています」とHさんは意気揚々と言っていましたが、お付き合いとは程遠く、数回手を繋いだのみ(この程度で済んで良かった)。各地に出かけましたが、二人の写真は撮らない主義のようでした。
思い返せば私に対しても面接をし、私の両親や実家に対しても面接をしていたように思います。
Hさんが帰ってから、母に「本当にあの人でいいの?」と聞かれました。私の心をわかっていたようです。
彼の家に会いに行くのに雨でずぶ濡れ、最悪の状況
Hさんのご両親にも会いに行く約束をしました。
その日は強い雨が降っていました。傘をさしていても服やバッグ、髪が濡れてしまいます。
最寄りの駅からは歩いて15分という距離だったので、てっきりタクシーで向かうと思っていました。
すでに服が濡れている状態なので、さらに濡れるのは避けたかったのです。
でもHさんは「両親への印象が悪くなるから、タクシーではなく歩いていこう。」と私を雨の中に連れ出しました。
ご両親に会いに行くということで、きれいめのワンピースやパンプスを履いている私を気遣うことなく、自分の両親が抱く印象を懸念して歩きにされたのです。
すれ違う車の水しぶきや大きな水たまりを避けきれず、パンプスの中にも水が入ってきました。こんな状態で家に上がるのも躊躇しましたが、Hさんに従うしかなかったのでした。
なぜ?Hさんの父親は私の家族について聞きたがった
Hさんに案内されたのは都内の古い住宅街にある、年季の入った一軒家。
玄関に上がると優しそうな母親が「あらあら~」と服を拭くタオルを持ってきましたが、Hさんが「歩いていきたいと言われて」と一言。ずぶ濡れになったのはなぜか私のせいにされました。
私の印象がアップすると考えての発言だったようですが、私が悪いような言い方はあんまりですよね。
Hさんの母親がりんごや梨などのフルーツを剥き、父親が私に面接をするかのように質問をしてきます。
私の実家に招いたときはきちんと和室で対応し、お茶やお菓子も気を配って上等なものを出しました。しかし、Hさんの実家ではキッチンダイニングのテーブルのイスにあちらこちらに座って、新聞紙の上で母親が剥いた果物を食べるというものでした。
“Hさんの家は慎ましやかに生活しているんだ”と良い方に捉えて、このおかしな状況をおかしいと判断できない自分がいました。“Hさんにもこの家族にも嫌われないよう、充分気をつけなければ!”という思いでいました。
「両親はどんな仕事をしているのか?」Hさんの父親は私のことよりも私の家族の情報を聞き出そうとしていました。どんな経歴でどんな仕事をして生計を立てているのか?この類の質問が多かったです。
私の実家は自営業、Hさんの実家は父親が公務員、母親が専業主婦です。私から見て、Hさんの実家は良く言えば“質素倹約で慎ましやかな生活”、平たく言えば“亭主関白の家”と言う感じでした。
今考えれば、良家の娘と結婚することが嫌だったのでしょうか。Hさん自身が自分を大きく見せるような発言が目立っていましたが、その考えは父親譲りだったのかもしれません。
その証拠に、両親へ挨拶に行ったあとはしばらく連絡がありませんでした。
私自身は、お互いの両親にも会ったし、もう後戻りはできないところまで来ていると覚悟を決めていました。
“何かを我慢しなければ結婚できない、すべてが上手くいく幸せな結婚なんて存在しない”と自分に言い聞かせていました。
別れは突然に、メールで「さようなら」
Hさんの家に挨拶に行ってから1週間経ったころ、一通のメールが届きました。
「もうあなたとは会えなくなりました。さようなら。」
原文そのままです。
私は理解ができませんでした。なんの前触れもなく、理由もなく、相談も、話し合いもなくです。
すかさず電話すると着信拒否。ありえない。その後何回も電話しましたが、着信拒否のままでした。
メールは送信できるようでしたので、焦った私は「嫌なところがあれば直すので、もう一度チャンスをください。一度会って話がしたいです。」と伝えました。
この時の私は正常な判断ができない状態だったと思います。“ただ誰かと結婚したい、慶應卒のHさんしかいない!”そう強く思い込んでいました。
正直、慶応卒以外の要素では惹かれなかったのに、一刻も早くこの苦しい婚活から抜け出したいという気持ちが勝って、Hさんに執着していました。
たて続けに私は「Hさんのお母さんに手紙を書きたい、Hさんの家に行ってお話をしたい」とメールを送りました。
今思えば、Hさんの母親に何を伝えるのか疑問ですが、“Hさんが悪いのではない、家族の反対があったからだ”とばかり思っていました。
必死にメールをした数時間後、Hさんからメールが来ました。本当に押し掛けられては困ると思ったのでしょう。
「あなたは良妻賢母になれる気がしないです。直接会うのはやめましょう」
Hさんから、私は良妻賢母になれないと言われました。これがとどめの言葉でした。
母にカミングアウトし自分には合わない男性だと気付かされた
ショックで数日間食事を食べられない私を見て、母から「どうしたの?」と心配されました。
数日間の出来事を話し、メールの内容を見せたら母は激怒!父にも伝わり「なんて失礼な男なんだ!」と怒り始めました。
私はこれまでに不満だったことを全て両親に伝えました。
毎回私に食事代や雑費を負担させていたこと、雨の日にずぶ濡れにさせて歩かせたこと、そしてメール一通で終わらせようとしたこと。
父は以前からHさんに不信感を持っていたようですが、娘の私がいいならと口を出さずにいました。でも、実際の状況を聞いて激怒、そんな男とは別れて正解だと励ましてくれました。
約5ヶ月もの長い間引っ張ったHさんとのやり取りは、これで終わりです。
結婚できるなら誰でもいいと思わないで、母の言葉に目が覚めた
アドバイザーさんにもHさんとのことを報告し、アドバイザーさんもかなり心配してくれました。そしてHさんの属する支店へクレームを言ってくれたようでした。
両親にも会って数日後にメール一通で終わらせようとしたことは、結婚相談所経由の出会いどころか、普通の人間として失礼極まりない。と
母は「この話はこの3人だけの秘密。誰にも言わない。もう忘れなさい。」と慰めてくれました。
「結婚できるのなら誰でも良いなんて思わないで。いつか素敵な人が現れるから。自分のプライドをなくしてまで結婚することはないわ。」
こんなことを直接言われなくても、普通の女性ならわかっているはず。慶應卒にこだわったばかりに、とんでもない人に無駄な時間を費やすことになってしまいました。
私が婚活疲れを引き起こしてしまった理由
私がなぜ違和感を感じながらもHさんにすがってしまったのか、今分析してみるといくつかの理由が見えてきました。
- 立て続けにお断りされていたこと
- 28歳から29歳になった時に申し込みが減ったこと
- 周りが結婚を決めて焦りに拍車がかかる状況だったこと
当時の私は「とにかく結婚するためならばどんな相手でもいい、早く結婚がしたい」と、「結婚」することがゴールになってしまっていました。
諦め掛けていたけれど、もう一度頑張ってみようと思った
Hさんからお断りをされたのは、あと半年で30歳になるころでした。
30歳までに結婚という目標はもう達成できそうにないと思った私は、母に「もうオーネットを退会しようと思う」と伝えました。
すると母は「退会してどうするの?結婚したいという気持ちが少しでも残っているなら、辛くても、もう一度立ち上がって婚活を続けた方が良いよ。」と言ってくれました。
母もなんとなく泣きそうな顔でした。
母だって、娘がひどい目に遭って精神的に辛い状態になっている様子を見るのは耐え難かったと思います。でも諦める前に「もう一度がんばってみたら?」と提案してくれました。
こうして私はまた一から相手探しをすることになりました。
- 自分からのめり込むことはしない
- 相手を客観的に判断する
これだけは守って活動を再開しようと決意しました。
>>前回:結婚相談所で出会ったイケメン男性にフラれた2つのエピソード
理想が高すぎるOLの楽天オーネット体験談